行動経済学者のダニエル・カーネマンは、人の意思決定のルートには2種類あり、「早くて自動的で、その分不正確なことも多いシステム1」と、「遅くて意識的で正確なシステム2」という分類を示しました。この連載のテーマである感情と思考の違いということでは、システム1が感情に当たり、システム2が思考に当たることになります。

感情より思考の方が一般的に正確であることはもちろんそうなのですが、今回は思考も正しいとは限らないという話です。たとえ時間をかけて思考しても、人は様々な間違いや偏った考えをしてしまいます。カーネマンは人間が犯してしまう様々な誤りを認知バイアスと名づけるとともに、様々に類型化しました。

たとえば以下の質問に答えてみてください。
バットとボールを合わせて110円です。バットはボールより100円高いです。バットとボールはそれぞれいくらでしょうか?あなたは何と答えましたか?

これをアイビーリーグの大学生たちに質問すると、多くの学生が「バットが100円でボールが10円」と答えます。正解は「バットが105円でボールが5円」です。このような単純な誤りを犯してしまうのは、無意識のうちに簡便な解法を使って結論を導くからと言われています。このような簡便法はヒューリスティクスと呼ばれます。この質問で言えば、問題文の中の10とか100などのわかりやすい数字を使って回答してしまう傾向のことです。

ヒューリスティクスを使う簡便法は、ある意味直感的に答えてしまうということであり、感情のルートを使っていることによる誤りであると言えます。一方で、この連載にも以前出てきたプロスペクト理論は、たとえ時間をかけて思考しても出てしまうバイアスであることがわかっています。

プロスペクト理論とは、人は損大利小に陥りがちにあるということを提唱した理論です。人には、生き残るためにリスク選好よりリスク回避を選択する動物的本能があり、1万円の利益を得る快感より、1万円を失う不快の方をより大きく感じる傾向があります。ここから、トレーディングにおいて利益が出ている時は、利益が損失に変わるのを怖れて早めに利食いしてしまい、損失が出ている時は、損失を現実化するのを怖れて損切りが遅れてしまうというバイアスが生じることになります。

このようなバイアスは、単に時間をかけて、システム2を使えば防げるというものでありません。相当程度、システム2を鍛えないといけないことになります。鍛えるとはどういうことかと言うと、柔軟にすることです。では柔軟にするにはどうしたらよいのかということが、今後のこの連載のメインテーマの一つになっていきます。今日のところは思考=システム2も、そのままでは様々な間違いを引き起こすということを覚えて頂ければと思います。

思考は間違いを引き起こすだけではありません。様々な限界もあります。基本的に私たちの思考は過去の経験や知識に基づいており、線形思考と言われる単純なものになりがちです。人は所詮、自分の脳に入っている知識の範囲内でしか思考ができないので、自分では創造的な発想をしているつもりでも、単に過去の知識や経験を組み替えているに過ぎないわけです。

このような思考の限界を打破するために、ロジカルシンキング、クリティカルシンキング、ラテラルシンキング、システム思考などが提唱され、また最近ではゼロベース思考やエッセンシャルシンキングなど次々と新しい思考法が提示されるわけです。それでも決め手となるような本当に斬新な思考法は、今のところ編み出されていません。

脳の発達の過程を見て行くと、大昔はシステム1=感情しか無かった人間が、進化の過程でシステム2=思考が備わってきて、自分の感情を客観視できるような能力が付いてきたことがわかるわけですが、その思考能力もまだまだ不完全であり、発達の途中過程にあることになります。

このまま人間が進化していけば、思考で感情を完璧にコントロールできて、利食いも損切りも、難なく合理的に行えるようになる日がいつかは来るのでしょうが、それは何年後(何万年後?!)の話なのかは全く想像もつきません。

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