快と不快の効果

快感情と不快感情はどのように作用するのでしょうか。人は自分の欲求を満たすものに対して快感情が発生し、それに接近する行動を起こします。一方で、欲求を阻害するものに対して不快感情が発生し、それを回避する行動を起こします。

道の向こうから好きな人が歩いて来たら、思わず笑顔が広がり駆け寄って行くし、嫌いな人が見えたら、いやな気分がしてとっさに逃げようとするわけです。好きな趣味のことをやっている時は何時間でも喜々として取り組むし、嫌いな仕事をしている間はつまらなく、一刻でも早く終わらせようとします。

どうして自分の欲求を満たすものは気分が良く、欲求を阻害するものは気分が悪くなるようにできているのでしょうか?生存の欲求は人間にとっての一番根源的な欲求です。食べ物が無いと私たちは生存できません。今まで見たことがない食べ物に出会った場合、食べてみないと食べられるものなのかどうかはわかりません。食べてみておいしければ自然と快感情が沸き上がり、再びその快感情を味わいたくて、それを追い求めるようになります。そして、その食べ物の快い匂いや形を覚えておくことで、それを見つけやすくなり、その結果私たちの生存を助けることになります。

一方で、まずくて食べられない食べ物の場合には、そのまずい不快な感情を覚えることになります。そして次にその食べ物に遭遇しても、瞬時にその時の不快な感情を思い出すことになり、毒のある食べ物などを予め避けることができるようになります。

快感情は、私たちが好きなこと、得意なことを続け、追い求めるように仕向けることで、生存に有利なように働きます。また不快感情も、自分が嫌いなこと、不得意なことを早くやめるように、あるいは避けるように仕向けることで、やはり私たちの生存を助けていることになります。

自分が好きな相手は、生存を助けてくれる仲間だからいつまでも一緒にいたいと思い、自分が嫌いな相手は、生存を危うくする敵だから、早く離れたいと思うということです。

感情はサイン

感情は、何が自分の生存を助け、何が阻害するかを見分けるためのサインだということになります。不快な気持ちで何かを続けている状態というのは、自分の生存を危うくする対象に、無理矢理接近し続けている状態だということになります。感情は早く離れろ、離れろというサインを送り続けているにもかかわらずです。これは精神衛生上、当然良くない状態ですし、これが続くとうつ病などにも発展しかねないことになります。

そのような状態の時を解決する策としては、さっさとその不快な対象から離れるしかないのか?もちろん離れられるなら、離れるに越したことはありませんが、それができないとしても解決策はあるのです。それは、何が自分の生存を助け、何が危うくするかというサインは、実は絶対的なものであるとは限らないからなのです。

たとえば、子供の頃にトマトを食べてみたらまずくて、それ以来その人にとってトマトは毒であり、自分の生存を危うくする対象であるというサインを持ち続け、トマトを見るたびに不快な感情を感じてきているとします。大人になってある日トマトを食べてみたら、実はおいしくて、その日からトマトは快い感情の対象になり、自分の生存を助けてくれる存在に早変わりするというようなことが結構あります。

私たちが何を快適な対象と捉え、何を不快な対象と捉えるかの境目は、過去の偶然の経験や知識に負っているものが多いので、不快な対象を快の対象に変えることも実は不可能ではないわけです。投資行動においても、例えば「損をする」というのは、普通は不快な対象で、損を避けるために非合理的な行動を取ってしまうことがあります。「損をする」ということを不快なことと思わなくすれば、そのような行動も是正できることになります。この連載では、自分の感情を、自分にとって都合のよい方向に変えて行く方法などにも触れて行くことになります。

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